トメアス農業組合 |
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トメアス農業共同組合(Cooperativa Agricola Mista de Tome-Acu')は現在、組合員が200名程ですが、戦前に移住した日本人が最初にカカオや野菜類、米を栽培し、1931年に「アカラ野菜組合」を創立しました。
そこに第二次世界大戦が勃発し、ブラジルガ連合国側に加わったため日本人たちは窮地に追い込まれました。終戦後、1933年にシンガポールからトメアスに「黒いダイヤ」といわれた胡椒の苗を持込み、栽培を始めました。売上げは飛躍的に伸びて組合を成長させ、強力なものにしたのです。
1946年には「アカラ農民同志会」が結成され、同年4月「アカラ産業組合」に変更になりました。そしていまの「トメアス産業組合」と改称した年が1949年9月です。今でこそベレン市から道路が完成しておりトメアスまでその距離は220kmですが、最初は道路もなく、全て船や単発機(発動機を1基備えた飛行機)を利用していました。単発機で30分、船だと一昼夜掛かったそうです。
ところが発展していく一方で胡椒にフザリウム菌(カビ)が発生し、1970年代に入るとほとんど全滅してしまいました。更にその末期には、輸出の直買先売(じきがいさきうり)による差損をまともにかぶり、崩壊寸前までなったが、組合の債権に対して日本政府から一時的な援助を受け、再出発し、経営陣も2世3世と若手に交代しながらトロピカルフルーツ(クプアス、マラクジャ、グァバ、アセロラなど)の栽培やアサイーなどを開墾していったのです。
それからは組合全員が一体となって努力し、援助金は全て完済し、JICA(国際協力機構)による援助でジュース工場を設立し、その製品を日本やアメリカの国に輸出を始め、更にブラジルの2大企業、Petrobras社とVale do Rio Doce社の協力でデンデー椰子の栽培を大々的に開始しました。
最近は原生植生と複数の栽培植物を有機的にミックスする「アグロフォーレストリー」と呼ばれている農業形態が世界の注目を浴びています。